Y-no-Hitorigotoのブログ

参加しやすいようなボランティアを優先して紹介します

偽善でボランティアするのはアリなのか

タイトルにあるように

「偽善でボランティアとかダサい」とか思っている人いません?

 

僕も思います。

 

かっこよくないですね、とっても。

 

でも何もやらないよりましではないでしょうか。

 

僕は「やらない善よりやる偽善」って有名な言葉は案外的を射ているのかなって思っています。僕はもしかすると少数派なのでしょうか…

 

ネットで「やらない善よりやる偽善」と検索すると否定的な意見が多く見受けられます。

 

例えば

・被災地を思っての行動は方法・タイミングを間違えると、むしろやらない方がいい。

 

・大衆を動かしあおり立てる為の詭弁として使っている団体がある。

といったところでしょうか。

 

でも僕はそんなの結果論だし、始めから結果が明らかだったらやるわけないって思うんです。それに、それを突き詰めると特別な能力のない一般人は善行を積んではならない、なんてことになりかねません。

 

「社会貢献をするのは選ばれた人間だ」という考え方には限界があると思います。

 

昨年世間から注目を集めたスーパーボランティアこと尾畠春夫さんの、自己完結するボランティアを見て、「これが理想のボランティア像だ!」なんて感じる人も多いでしょう。確かにこれは理想なのかもしれませんが、すべてのボランティアスタッフに同じものを求めるのは現実的じゃないし、そうすると人が集まりません。

 

 

善と偽善は、そのバランスが大切なのだと思います。

 

確かに偽善目的でするボランティアなんて放っておいたら、純粋な善意を持った人からするとただはた迷惑なのかもしれません。

ならいっその事、奴らを正しくこき使いましょう

 

以前このブログでお話ししたように日本は諸外国と比較してボランティアに参加したことのある人が少ないです。これは非常にもったいない事です。

 

だから彼らの第一ステップとして偽善でもいいからボランティアに参加させるべきなのです。問題ありません。なぜなら、ボランティア経験のある人なら分かると思いますが、ボランティアって結構エネルギー消費するんです。偽善目的で活動する人なんてそう長くは続きません。

 

もし彼らが「やらない善よりやる偽善」を悪用するのであれば私含めネット民が黙ってないでしょう。それに、偽善で動いていた彼らの中から純粋な善意が生まれないとも限らない。

 

「しない善よりする偽善」の発端となったとされるアフガニスタンの学校支援プロジェクトで本当に学校が完成したことも併せて考えると、やはり悪くないネットスラングなのではないでしょうか。

 

 

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